平成徒然草1─00/03-00/06─ |
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1.愛しき短い歌たち 2.カルチョってサッカーのことだったんだ 3.なんと! 4.じっとしてるだけ? 5.智恵子飴って知ってます? 6.ゆずみそって知ってます? |
7.ホームページの鉄則(1) 8.更新について 9.再び更新について 10.『新訂孫子』発売 11.ここの更新って…… 12.汗顔・汗顔……(^^; |
13.日記って面白いですね 14.イラストって 15.弘前に行って来ました 16.一色のんびり宣言 17.ホームページの宣伝というのは 18.絶対に関係したくない個性 |
平成徒然草2─00/07-01/02─ |
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1.実験サイトの報告 2.辞書の話 3.衝撃的な中華料理 4.サイトの再構築 5.ワンランク上の知的生活 6.「競宴」という企画の素晴らしさ |
7.「絶望の世界」からわかること 8.読者への配慮あれこれ 9.小説の書き方について 10.とにかく宣伝したい! 11.感想を頂くためにひと工夫 12.「登場人物紹介」の需要 |
13.アクセス解析は実は必須? 14.恋愛小説って人気があるの? 15.小説系サイトも「老舗」が強い 16.一色メモあれこれ 17.小説系サイト運営の鉄則 18.ちょっと厳しいけど…… |
YO-KINGのアルバム「DEFROSTER ROCK」に「遠い星と近くの君」という曲が入っています。実に良い歌で、つい口ずさんでしまう。「もったいないとか むだなことだとか 僕は思わない 決して思わない」というサビの部分が実に良い。耳に残る。普段、無駄なことばかりたくさんしているからでしょうか。
ところでこの歌、三分にも満たない短い歌です。オリジナルラブの「少年とスプーン」という、五拍子の珍しい歌も三分に満たない短い歌でした。ちなみにこの「少年とスプーン」は、僕がこれまで聴いた中でベスト1に推す歌です。ベスト2に推すのはユニコーンの「お正月」(アルバム未収録)で、これもかなり短かいですね。
どうやら短い歌には名曲が多いようです。
サビばかりを五分も六分も聞かせる歌を最近よく耳にしますが、少々うんざりしています。良い曲かな、と一瞬思うのですが、すぐ飽きてしまいます。何せ同じ部分ばかり何度も聞かされるのだから。
そういえば、ビートルズの曲もみんな短かったなぁ。
最近サッカーの試合をよく見ます。イタリアのセリエAとスペインのリーガ・エスパニョーラの試合が多い。中田とか名波とか城とかが移籍したので、よくテレビで放映されています。
中田が移籍したお陰で、ASローマの試合を見る機会が多くなりました。このチーム、実に攻撃的で面白い。とにかく前線に走り上がります。気付くと、五人も六人もゴールラインより上に走り込んでいます。どの選手もパスを出すと同時に走り上がるので、パス出しだけを熱心にやっていると、自分が攻め上がる機会を失ってしまいます。中田が移籍当初全く機能していなかったのも、そんなローマの性質に戸惑っていたからでしょう。
ちなみに僕が見て面白いなと思ったチームは、イタリアのユベントスとスペインのバルセロナ。
どちらもパス回しが絶妙なチームで、細かいパスを繋ぎながらじっくりとチャンスを待ちます。敵陣内でも小刻みなパス回しをし続けるのだから、彼らのテクニックがどれだけ優れているのか想像できるでしょう。一押しの選手はユベントスのザンブロッタとバルセロナのダニ。僕が見た試合では、いつも活躍していました。もちろんデルピエロやジダン、リバウドは大活躍でした。
昨日はパルマ対バリの試合を見ました。ゴールキーパーのブッフォンがすごかったなあ。試合はパルマがリードしていたものの、勢いはバリにあって、パルマの倍くらいシュートを放っていました。そんなシュートの嵐からゴールを守っていたのがブッフォン。実は途中で寝てしまったので試合結果は知らないのですが、ゴールを守りきったと信じています。
ブッフォンはアズーリ(イタリア代表)の正ゴールキーパーでもあります。パルマは残念ながら優勝戦線から遠ざかってしまったのですが、彼はユーロ2000でイタリアを優勝に導くかもしれません。それだけの力を持つ選手です。
ちなみにユーロ2000で僕が注目しているのはポルトガル。
「少年とスプーン」を久しぶりに聞き直しました。なんと!! 四分以上あるではないか!
四分少々だから、まあ、短いことに変わりはないのですが、人間の記憶ってのはこんなに儚いものなんだなあ、と愕然としました。
まあ、そんなこんなでびっくりしました。
ちなみにパルマはやはり勝っていましたね。フジの「セリエAダイジェスト」では昨季の得点王アモローゾにばかり注目していて、バリの猛攻を防いだブッフォンには触れていませんでした。名前すら一度も出てきませんでした。やっぱり得点シーンの方がインパクトがあるんだなあ。
ところで、先日、JNK Worldというサイトに行きました。なんと綺麗なサイトなのだろう、とまたびっくり。あのFlashPlayerのアニメーションを初めてみましたが、いやあ、びっくりさせる。さらになんと! そこで、下で動いているキャラクタを配っているんです。これ、可愛いと思いません?
久しぶりにゲームソフトを買いました。
「サガフロンティア2」というスクウェアのロールプレイングゲームで、まるで水彩画のような絵が美しかったので購入しました。
ところが、このゲーム、ずっと見ているだけ。
いつまで経っても(といってもそんなに経っていないが)自分で動かすことができません。キャラクタは勝手に動き回って演技をしています。ですが、こちらはロール(役)をプレイ(演じることが)できません。これではロールプレイングではないではないか!
と思っていたら、ようやく動かす場面に。そして再び勝手に動き始めます。
○ボタンを連射しながら、母上の死の場面に少しだけ感動してしまいました。
少し悔しい。
先日、ドライブのついでに高村智恵子の生家がある福島県二本松市まで足を伸ばしました。高村智恵子とは、あの『智恵子抄』で有名な、あの智恵子さんです(その日の目的は安達ヶ原の鬼婆だったので、智恵子の生家には寄りませんでした)。
二本松では、「道の駅」と呼ばれる国道のサービスエリアみたいな所に入ったのですが、そこで「智恵子飴」を売っていました。何の変哲もない、最近見ないタイプの古典的な飴です。中の飴がひとつひとつ包装されていないような豪快な飴(僕はそういう飴が好き)。いくつかある中で、僕は「智恵子檸檬飴」を買ったのですが(それだけが特定の味を主張していたから)、檸檬の味はほとんどしません。他にもいろいろな味を装っていましたが(色で)、恐らく砂糖の味以外はしないのでしょう。香料すらほとんど入っていないと予想しています。
そんな智恵子飴がわさわさ並ぶ中、こっそり「光太郎飴」が売られているのを僕は見逃しませんでした。
前回のドライブの話の続き。
安達ヶ原へ向かう途中、土湯温泉に足を伸ばしました。
ここにも「道の駅」があるので、もちろん休憩。というか、ここに来るために土湯に足を伸ばしたのです。
売店をのぞくと、いろいろと変わったものを売っています。どれも興味深かったのですが、検討の末、「熊笹こんにゃく」(刺身用)と「ゆずみそ」を購入。
妻の実家におみやげとして持ち帰り、早速「熊笹こんにゃく」を食しました。緑色のちょっと不思議なこんにゃくですが、実に旨い。ただ、どの味が熊笹味なのかは不明でした。何せ熊笹など食べたことはないのです。こんにゃくの味しかわかりません。ただ僕は刺身こんにゃくが大好きです。
「ゆずみそ」はその晩に食べる予定だったのですが、すっかり全員が失念し、そっくり持って帰ることになりました。翌日湯豆腐に添えて食す。これが実に旨い。御飯にも添えてみる。うん、これも旨い。僕は豆腐が大好きだから(妻はあんまり好きじゃない)、その日以来、しばしば冷や奴に添えては食べています。生姜と醤油も豆腐と抜群に相性が良いですが、「ゆずみそ」も負けていません。
でも、今日とうとう食べきってしまいました。また福島に足を伸ばそうかな。
ミステリ研究室内に「ネット小説研究室」を創設しました。もう何日か前の話です。
その後、掲示板に反響をいただきましたが、その中に「文章自体のデザインを工夫する」というものがありました(鍵屋さんからの書き込みです。ありがとうございます)。今、このページが段落ごとに一行空けているのも、この意見に従ったものです。
その他、ホームページ独特のレイアウトの一つに「新しい情報をページの先頭に載せる」というのがあります。このページで言えば、下に行くほど書かれた日が遡ることです。ちなみにこれを書いたのは4月8日の深夜ですから、上には9日以降に書いた分があるはずです。
ページをダウンロードすると、下の情報はスクロールしないと現れないので、最新情報を先頭に載せることになります。しかしそれでは、話の続きを読んでからその元になる話を読むことになってしまいます。それでは少し困ったことになるときもあります。
ここら辺の兼ね合いは実に難しい。
今日ようやく平津館を更新しました。今、秦漢思想史の概説を書いているところだから、その成果の一部を「諸子百家」の方に「雑家」という形で先行掲載したものです。まだまだ書き足りないところがありますが、扉に「簡単な説明」とあるから、あれでは詳し過ぎるくらいでしょう。
最近、更新が週に一度のペースに落ちています。平津館に至っては二週間に一度程度だと、更新記録を見るとわかります。このサイトは小説系の「MysteryLab」と中国系の「平津館」とで成立しているから、両方を定期的に更新する必要があるし、「平津館」を更新しなければ、中国好きのお客さんに失礼です。
しかしここで言い訳をすると、僕は概説書や専門書に頼りません。逐一資料に当たらないと気が済みません。「雑家」を書くに当たっても、できるだけ『史記』や『漢書』、『呂氏春秋』序意篇などに直接当たっています(僕の中で常識化しているところはそのまま書いている)。更新が少ないのは、その所為です。質の高い情報をお送りしたいのです。
更新の話の続き
「MysteryLab」の更新も実を言えば滞っています。ftpサーバのダウンもその一因ですが、ここの他に二つのサイトを運営しているのが最大の原因です。
一つは「お役立ちサイト集」をメインにしたサイトで、これはインターネットの利用の仕方がよくわからない、僕の家族のために作っているサイトです。掲示板やおすすめ本の紹介、「寺子屋オンライン」という中高生の受験勉強を応援するコンテンツもあります(これを読んだ中高生の方で、英語長文や小論文に悩んでいる方、是非足を運んでみて下さい──現在は閉鎖)。
もう一つは「ネット小説研究室」のための実験サイトで、先日立ち上げたばかり。この詳細は後日、「ネット小説研究室」第三章「人気サイトを実験する」で報告しますので、乞うご期待。
『新訂孫子』が今月、岩波文庫から発売されるそうです。もちろん著者(訳注)は金谷治先生。恐らく最新孫子情報満載の、孫子ファン必読の書となるはず。今月最大の注目書です。
しかし日本には『孫子』好きが多いですね。検索エンジンでは一万数千件もヒットするし、「国際孫子クラブ」という団体まで存在します(つい最近知りました)。
それに引き替え、『孫子』と並ぶ兵書のはずの『呉子』の扱いは、これまたいかがなものでしょうか。名前は知られていても、中身は知られていないようです。現行本の『呉子』が唐の陸希声によって編纂されたことを知っている人はどれくらいいるのでしょう。
『武経七書』という名前もよく眼にしますが、これが北宋に編纂された「武官採用試験のための教科書」と明記されているページは少ないですね。中には明らかに「中国の古典兵書の総称」と誤解しているページも多いです。それよりも、『六韜』や『尉繚子』が北宋の朱服によって今の形にまとめられたことを知っている人は、どれくらいいるのでしょう。『六韜』という書名が比較的新しいもので、出土する『六韜』(これがもう三種類ほど出土している)が『太公』という書名であることを知っている人はどれくらいいるのでしょう。
そんなわけで、たった今決断しました。
平津館は日本一の『呉子』サイトを目指します!! 『呉子』という名前は知っているけど、詳しくは知らないと云う方、『呉子』に興味を持ってはいるが、どうやって調べるのかわからないと云う方、ご安心を。僕が詳しく解説しませう。
乞うご期待。
おかげさまで安定した数のお客さんに来ていただいてます。内容的にあまり自信はなかったのですが(結構ありふれた内容なので)、来て頂けていると云うことは、きっと悪くない内容なのでしょう、充実はしていませんが。(鍵屋さんの「紡喜堂」に行くと、自分のサイトの貧相さに泣きたくなります。ちなみにこのサイト、おすすめですのでぜひ一度足を運んでみて下さい。)
皆さん読んでいかれるのは、「ネット小説研究室」と「ノベルス工房」の超短編小説のようで、この二つに関してはいろいろと反応があります(今週の故事成語への反応も最近はちらほら。これも嬉しいです)。ところが、他のコンテンツに関する反応はほとんどありません。きっとあまり読まれていないのでしょう。
さて、それらにもまして読まれていないと思われるのが、ここ「平成徒然草」です。ここを更新するために文章を書いていると、これはかなり自虐的な気分になります。
サイトの管理人の皆さんは、自分のサイトで楽しんでいただいているのかいないのか、かなり気になるところだと思います。僕も気になります。でも、カウンタは来客数だけ記録して購読者数は不明ですから、あまり意味はありませんね。
というわけで、ここを読んでいる方の中で、このサイトを気に入った方は、「こちら」で一票を投じて下さると嬉しいです。なぜかというと、一票を投じて下さった方は必ずここを読んで下さっているはずなので、その投票数でここを読んで下さっている方の数がわかるからです。
このランキング、肯定的評価ばかりではなく否定的評価もできるので、忌憚のない意見をお待ちしております。(って書き終わってから気付いたのですが、下と文体が異なっています。失敗しました。でも、とりあえず今回はこの文体にします。)
このサイトで最も反響があるのは「ネット小説研究室」です。最近、ここに新章「効果的な宣伝方法とは?」を足しました。
僕はこの新章の中で“「HONなび」に登録を続ければ、それだけで週100名の集客も可能”などと高らかに宣言しているのですが、この発言かなり恥ずかしいです。
最近、掲示板に書き込みしていただいた“さゆさん”や“ろんさん”のサイトを少しだけ覗いたのですが、両者とも小説系サイトでありながら数万ヒットの超人気サイトです。“ろんさん”に至ってはなんと58万ヒット(00/04/27現在)!! すごいです。
というわけで、今、あの発言を恥ずかしく思っています。
更新しやすいコンテンツを一つ、という理由で始めたこのコーナー。なのに、一月以上更新していないのはなぜ?(それはこのコーナーの存在を忘れていたから)
さてさて、僕はこの「鉄琴銅剣楼」のほかに小説系サイトを運営しています。
そちらはもうとにかく不真面目。おちゃらけてやってます。文体も全然違います。こっちで真面目なぶんあっちで憂さ晴らし、といった感じです。
内容は自作小説がメインです。美少女ヒロインが活躍する学園もののサイキック系ミステリホラー(←書いていてかなり恥ずかしい)と、アクション満載のファンタジー。それに江戸怪談の現代語簡約などがあります。
このほか京極夏彦に関するページもあります。とはいっても、「京極堂シリーズからベストナインを選んだら」とか、実に不真面目かつ貧相なものです。
ところがどっこい(この表現、見なくなりましたね)。このサイト、結構な人気を持ち始めています。検索エンジン等に全く登録されていない段階で(それは「鉄琴銅剣楼」も同じですが)、一日平均15人くらい。カウンタももう700回っています。立ち上げてから二ヶ月近くでこの数字、というのはなかなかのものと感じられます(とても嬉しい)。
もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、ここからリンクを(こっそり)張りますので教えて下さいね。
というわけで、題名と全く関係はありません。
わが細君は少女漫画系イラストを蛇蝎のごとく忌み嫌っています(少女漫画系でない場合は、牛乳を拭いたまま一日放置された雑巾程度に嫌っています)。
僕が訪れたサイトにそうしたイラストがあると、背後できゃあきゃあ騒ぎます。それはそれは、とてもうるさいものです。
眼の面積が顔面の60%以上を占める女の子とかダメみたい。頭身が六頭身以下でもダメらしい。もう三頭身などもってのほかのそと(←僕の先生はまだ使ってます)。このまえ「ファイナルファンタジー9が欲しい」といったところ、「あんな三頭身キャラはあなたに合わない」といわれました。(……「合わない」って)
以前、銀鳳さんのサイトできり番を踏んだ記念にイラストをいただいたのですが(ギャラリに載せる予定)、僕が「これトップページに飾ろうと思うんだけど」と構想を明かしたところ、細君は「そんなことしたらパソコン捨てる」と宣告。パソコンを捨てられたら仕事ができなくなるので、トップページに飾るアイディアは諦める羽目になりました(残念)。
まあ、こんな細君を持つと、スニーカー文庫を読むのも一苦労です。
先月、密かに買った『金陵城内記』を発見されてしまい、まるで浮気の証拠を握ったかのように責められました。
「これは歴史小説でさぁ。こんな表紙だけど、時代考証もしっかりしていて感心してるんだ。僕もこういう小説を書きたくて云々」と言い訳をすると、「ちゃんとした歴史小説にはこんなイラストは付かない」と一蹴されました。
弘前に行って来ました。
すんごい遠い。もう遠すぎ。疲れまくり。帰ってくるなり爆睡。
弘前はちょうど林檎の花の時期と思っていたのですが、残念ながらもう終わっていました。
なだらかな岩木山の麓を覆う林檎畑。その一面の林檎の木がいっせいに白い花を付けるさまはとても素敵です。
時期を間違えると、農薬の散布にでくわしてしまい、頭が真っ白になることもあります。
それはそれでネタになりますが。
のんびりします。
更新しすぎです。ちょっと肩こりと視力低下が激しくなってきたので、ここで更新ペースを落とすことを宣言します。
鑑定も遅れることになりますね。ごめんなさい。
でも掲示板は毎日チェックしますから、皆さんどしどし書き込んで下さいね。
以前「共同研究室」で、こって牛さんが「他人のサイトの盛況ぶりを目にすると、ついアクセス向上に目を奪われて、肝心のコンテンツ作りをおろそかにしてしまいがち」と戒めてらっしゃいました。ベテランウェブマスタらしい、ありがたいご指摘です。
確かに、他人のサイトの盛況ぶりを見ると、「どのようにして宣伝しているのだろう」と、ものすごく気になってしまいますね。「宣伝に力を入れなきゃ」という危機感すら覚えそうです。
しかし一方で、宣伝というのは、ものすごい心的ストレスを感じさせます。掲示板での宣伝、相互リンクの申込み、検索エンジン・ポータルサイトへの登録、他サイトへ出向いての仲間作り……。宣伝に力を入れるくらいなら、その分サイトの更新に時間をかけよう、という気になってしまいます。
といったわけで、このサイトでは、ここ数ヶ月「楽園」掲示板を使った宣伝以外は一切していません(しかもこの宣伝は実験のため)。
※6月に入ってから 「一識堂リンク」に9件ほど追加しました。すべて相互リンクです。ですが、この件の挨拶をまだしておりません。たいへん失礼しています。この場を借りてお詫び申し上げます。
僕は人に対して嫌悪感を持つということが滅多にありません。どちらかというと、すぐに好きになってしまうタイプです。ところが、唯一「絶対に関係したくない」と思ってしまう個性があります。嫌悪を通り越して、恐怖すら感じる個性です。
それは「狭量かつ自己中心的、劣等感を払拭するため傲慢な態度を取る自意識過剰な自信家」です(厳密に表現しようとすると、もっと長くなってしまいます。それほど稀な個性ということですね。今のところ数名しか出逢ったことがありません)。
例えば、大学のゼミでこうした人物が発表し、講座の先生やゼミ生と論争したとします。もちろんたかが大学生。資料の誤読、論理性の欠如、文章の文法的誤りなど、いくらでも至らぬ点があります。当然、発表内容は間違いです。
しかしこうした人物は発表内容(自分の考え)が間違いであるとは絶対に認めません。
レジュメをもとに誰かが批判すると、「ここにはこう書いてありますけれども、それは私の文章力の至らぬせいで、これは謝ります。しかし、私がここで申し上げたいのは……」と反論。発表内容の間違いを単なる「文章の稚拙さ」に還元し、「発表内容(自分の考え)自体は間違っていない」と思い込もうとします。
そこで、口頭で説明した内容を黒板に書き出し、そのうえで論理的な誤りを指摘してみます。すると、「今、私はそう云ってしまいましたけれども、それはそうじゃなくて、本当に云いたいのは……」と言い換えます。この場合も、「口頭での表現力不足」に問題を還元して、何とか「発表内容(自分の考え)は間違っていない」と思い込もうとするんですね。
とにかく、絶対に自分の誤りを認めようとしません。相手が指導教官だろうが、先輩だろうが、反論し続けます。
しかもその反論の仕方は、上の例に「私がここで申し上げたいのは……」「本当に云いたいのは……」とあるように、自分の意見を繰り返し述べ続けるという「強弁」です。教官や先輩が批判するさいにあげた論拠(だいたいは論理的矛盾か資料の誤読)というのは一切無視します。もしくは、批判の一部だけに反応して、その部分にだけ反論します(要するに揚げ足取り。恐らくは人の意見を理解する能力に欠けるか、そもそも人の意見など聞くつもりがないほど傲慢かのどちらか)。
もちろん教官も先輩も「強弁」などという稚拙な戦術には屈しません。そうすると、かの発表者は激昂したりします。「なんで私の云っていることを理解してくれないんですか!」と叫ぶこともしばしば。教官がいなければ、「私とあなたたちとは考え方が違います。論争はここで終わりにしましょう」と云って自分から議論を終わらせたりします。何とか自分の考えを言い切る形で終わって「論争に勝った」というポーズを作りたいんですね(もちろん本人は勝ったつもり。このあたりの認識不足(勘違い)に周囲は苛立ちます。というか呆れます)。
さて、ここまでは比較的よく見かける個性です。まだ嫌悪感は沸きません。問題はこのあとです。
上の例で、議論の途中、「文章の稚拙さ」や「口頭での表現力不足」という点に問題を還元した部分がありました。そこで、「文章の稚拙さ」や「口頭での表現力不足」といった点については反省しているのかと、はじめは思います。また「私はどうやら人の誤解を受けやすいらしい」とか自分で云っている場合も多いので、ますますこの点については反省しているのだと信じたくなります(実際、良識ある人ならそう信じるようです)。
ところが、「私はどうやら人の誤解を受けやすいらしい」といった言葉のあとには、「どうしてそんなに誤解するほど馬鹿なんだろう」とか「どうしてこちらの真意を理解しようとしないのだろう」という言葉が続きます。そもそも誤解を受けるような言動をした自分の責任を棚上げにして、すべての責任を周囲に負わせているんですね。そのうえ、なぜか気分を害しています。
つまりこの人物は、自分は完全に被害者であって自分に責任はなく、自分の考えが理解されないのは相手の理解力不足のせい、と認識しています。もちろん自分の言動に対する反省は少しもありません。反省できないほど狭量で、かつ自己中心的なのです。
こうした態度は傲慢そのもので、謙虚さの欠片も見当たりません。
このあたりでふつふつと嫌悪感が沸きはじめます。でも、まだ恐怖には至りません。
こうした傲慢さの背後には、何かこの過剰な「自信」を支える実績とか何かがあるのではないか、とこちらは勘ぐったりします。ところが、大部分はそんな実績はないか、あっても本人が思っているほど大したものではないか、のどちらかです。中には「私は人より読書家です」「私は人より物知りです」といった非常に曖昧な点を根拠に傲慢になっている場合もあります。これはもう問題外ですね。
とにかく、「あなたの態度は極めて傲慢ですが、その傲慢を支えている“その実績”はあなたが思っているほど大したものじゃありません。だから、もっと謙虚になったらいかがです」という旨の発言で、傲慢を戒めます。人の意見を聞き入れないほど傲慢である以上、まずその傲慢さを戒めて、こちらの意見に耳を傾けてもらおう、との戦略ですね。ここで「実績」について触れるのは、ただ「あなたは傲慢です」と云っても当然聞き入れてもらえないので、その傲慢の根拠を無効化して、「そもそもあなたが傲慢な態度を取るのは非常に恥ずかしい態度なのだ」と認識してもらうためです。
すると、決まって「私はそんなこと少しも考えてません。あなたは失礼です。“その実績”で傲慢になれるはずがないでしょう」と反論してきます。「私は謙虚にみなさんの意見を聞き入れたいと考えています」と付け加えることもあります。
ここでこちらは反省します。うん、確かに失礼だと。あの程度のつまらない実績で傲慢になれるはずがないのは当たり前だと。ひょっとしたら、誤解していたのはこちら側であって、何らかの理由(例えば、異常な照れ屋さんで、謙虚な態度を取るのは照れるので、ついつい傲慢なふりをしてしまう)で、あのような傲慢な言動を繰り返していたのではないか、と解釈したりします。
そこで、「申し訳ない。こちらの誤解だったようだ」と謝罪します。この段階で、一旦嫌悪感は払拭されていますね。申し訳なさでいっぱいです。
ところが、この次の反応で、僕の嫌悪感は決定的になります。
傲慢の根拠は間違っていたにしても、傲慢な態度を取っていたことについては間違いありません。ですから、とりあえずは傲慢な態度をやめるだろう、と期待します。しかしここで謙虚な態度に転じることなど絶対にありません。かえって勝利したと勘違いし、畳み掛けるようにこちらを責めてきたりします。「反省できないほど狭量で、かつ自己中心的」な個性なわけですから、これは当然の反応です。予想できなかったこちらのミスです。この人物は自分の傲慢さを反省できる能力など、端っから有していないのです。
こうした感情的な(ヒステリックな)反応は、どうやら劣等感に根ざしている場合が多いようです。
これは辛抱強く対話を重ねた結果、わかったものですが、強く劣等感を抱いている人間は自己防衛本能がことのほか強く、論争などの場では「他人の意見を聞く」=「自分の劣等の証明」=「自分の存在意義の消失」とまで考えているようです。まあ、存在意義云々は行き過ぎだとしても、こうした人物は、自分の劣等さを自分で認識したくないがために(他人に認識されたくないがため、ではありません。あくまで自己中心的な個性ですから、他人にまで意識は及んでいません)、あれほど必死になって自分を守ろうとするんですね。劣等感が傲慢さとなって表出しているわけです(この必死さが端から見れば滑稽に過ぎないことは云うまでもありません)。
でも、まだこちらは罪悪感でいっぱいですから、もちろんこの人物のヒステリックな責めを黙って受け止めます。
ところが、この個性は劣等感が強いので、上で一旦は否定した「傲慢になれるはずのない実績」に縋り付いています。そこで、この人物は、あろうことか「自分のこの『実績』に嫉妬して、あのような(『“その実績”は大したものじゃない』)発言をしたのではないか」と云ってきたりします。ゼミの場であれば、「私の有能さに嫉妬して、必死になって批判してきたのではないか」と云ってきたりしますね(実話です)。
ここで嫌悪感を通り越して、恐怖すら感じます。
とんでもない自意識過剰です。自分の些末な実績が嫉妬されるに値するかどうか、見極めることができないのです。そのうえ、嫉妬する人格と嫉妬しない人格があることも考えつかないようです。「難癖(すでに批判が難癖に解釈されています)をつけてくる奴は、私に嫉妬しているからだ」と一元的に解釈しています(恐らく自分が嫉妬深いのでしょう)。
ここまで来て、この個性は問題の発端にあった「自分の傲慢な態度」をすっかり失念しています。もちろん、自分が他人を不愉快にさせた点については気付いてはいます。しかしそれは「自分の傲慢な態度」のせいではなく、「自分が嫉妬されたからだ」と解釈しています(呆れてものも云えません)。
そしてこの人物の中で最もクローズアップされているのは、自分が傷つけられたこと、それだけです。
でも、この点では謝罪させたから、とりあえずは勝利したと考えています(何の勝利かは不明です。とにかく何らかの満足感を得ているのは間違いありません。あるいは、自分はまだ傷ついている、これ以上責めないのは私の度量がなせる業だ、などと考えています)。
僕が「絶対に関係したくない」と感じるのは、ここに至ってからです。
こちらが何を云ったところで、「私に嫉妬しているからだ」と解釈されるのであれば、どんなリアクションでも不愉快です。そのうえ、こうした個性は自意識過剰で思いこみが激しいですから、「私に嫉妬している」という見方を絶対に変えようとしません。例え、口汚く「あんたみたいな人物に嫉妬するわけないだろう。自分が嫉妬されるに値する人物だと思っているのか」と罵ったところで、「ひどい! そんなに必死になるほど嫉妬しているのか」と解釈されるのがオチです(というか、そう解釈されました)。そのうえ、「あの謝罪は嘘だったのか。また私を傷つけようとしている」と被害者面して責めたりします(もちろん傷つけるつもりはありません。ただ相手の勘違いを糾したいだけです。結果的に傷つくのは勘違いしている方の問題です)。
というわけで、僕は「狭量かつ自己中心的、劣等感を払拭するため傲慢な態度を取る自意識過剰な自信家」とは絶対に関係したくありませんし、こうした個性には恐怖すら感じます。でも、妻に云わせれば、「そんな人、世の中にはごろごろいる」そうです。すごく怖い。