==創作メモ==



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はじめに
登場人物の名前
登場人物の数
個性的なキャラクタの作り方?
個性的なキャラクタとリアリティとの兼ね合い
視点の話

■はじめに
ここでは、僕が皆さんのご意見から学んだことや、僕がお話を書くうえで個人的に気を付けている点をお話ししたいと思います。

決して「小説の書き方」を指南しようなどと大それたことを考えているわけではありません。あくまで一個人のメモ程度のものとお考え下さい。

□ 更新履歴 □
00/11/22 初公開
00/12/01 個性的なキャラクタの作り方?
00/12/17 個性的なキャラクタとリアリティとの兼ね合い
01/02/18 視点の話

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■登場人物の名前
これは妻とのこんな会話から始まりました。

僕は「DarkSide」というサイトでオリジナルのミステリやホラーを公開しているのですが、その「登場人物紹介」を見た妻とこんな会話をしました。

 「秋人(僕のこと)のつける名前、非現実的すぎ。感情移入できないよ。だって、『秋庭』なんてクラスにいた? 『司馬』とか、『仙道』とか……まあ、『赤瀬』はいいとしても、何、『虹村』って? もう、絶対にいないって」
「でも格好いいでしょ」
「そんな自己満足じゃあ、読者は獲得できないし、話がマンガっぽくなるでしょ」
「うっ……そうかも」
「そうだよー。『武起』とか『克義』とか『太史』とか……全部漢字二字、ひらがな四文字じゃない」(※「太史」は「ひろふみ」と読ませてます)
「ううっ……(言葉に詰まる)」
「もっと親しみやすい名前にしないと……名前だけで読者失うよ」
この会話を掲示板に載せたところ、「名前に親しめない」という意見がいくつも寄せられました。かなりびっくり。皆さん、遠慮されていたんですねー。

せっかくのお気に入りのキャラ。思い入れから、ついつい個性的な名前を付けてしまいます。しかし小説のジャンルが「現代物」「恋愛物」「青春物」「ミステリ」「ホラー」といった「リアリティが重要になるもの」の場合、個性的な名前はその肝心のリアリティを一瞬にして吹き飛ばしてしまうようです。

「リアリティがない=身近に感じない」ですから、親しめないのは当然ですし、感情移入が重要になる「現代物」や「恋愛物」では、この点は致命的な傷になりかねません。

というわけで、キャラクタの名前は親しみやすく! が基本のようです(ファンタジーやSFなどは除く)。アイドルの名前が「佐藤」とか「鈴木」といったありふれた名前なのも、親しみやすさを演出するためなんですねー。

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■登場人物の数
「登場人物は必要最小限」が僕のモットーです。

キャラクタへの想いからか、一つのお話に大量に登場人物を投入している方をよく見ますが、残念ながらキャラクタの書き分けがよほど巧くない限りは、誰が誰なんだか混乱します。またそれぞれの役割もわからないので、正直云ってツマラナイ……。

そもそも自己満足で書いている場合が多いので、それはそれで良いとは思うのですが、読まされる側としては、没個性的なキャラの連続はちょっと勘弁していただきたいところです(「誰だっけコイツ?」の連続ですから)。

かといって個性的なキャラの連続は、これはこれでまた疲れます……。やはり登場人物には節度が必要ということでしょうか?

僕の場合は、

  1. 「テーマ」(いろいろ)を決める
  2. その「テーマ」を伝えるのに必要な「シーン」を並べる
  3. その「シーン」を叙述するのに最適な「視点」を定める
  4. その「視点」となる「主人公」を造型する
  5. その「主人公」との関わりの中で登場すべき「人物」を決める

 という順番で、登場人物の数を決定しています。

 もちろん「お気に入りのキャラクタを動かしたい!」という欲求は生じます。その場合はそのキャラクタに合わせた「テーマ」から考えています。そうすれば、そのキャラクタを「主人公」にでき、思う存分、動かすことができますから。

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■個性的なキャラクタの作り方?
「個性的な」といった場合、二種類あります。「独創的な」キャラクタと「個性を際立たせた」キャラクタです。もちろん独創的で個性の際立ったキャラクタなら、申し分はありません。

「独創的な」キャラクタを作るのは一筋縄じゃあいきません。何せ先人の作品に類例がないのが条件になるからです。そのためにはまず先人の作品を読みきる必要があります。これがいきなり大変です。

先人の造型したキャラクタと自分が造型したキャラクタとの間に類似点があると、「先人のマネ」と受け取られます。例えば、躁病質の探偵はすべてホームズか御手洗か榎木津礼二郎のマネとされます。躁病質はあくまでキャラクタの一面に過ぎなくても、先行するキャラの印象が強いと、読者はそこに引き付けてとらえてしまうようです。これは仕方のないことですね。

またキャラクタにはリアリティが求められます。それに、あまりにも読者が感情移入できないキャラクタだと、そっぽを向かれる可能性が高いです。したがって独創性を発揮するにしても、ある程度の制約を受けます。

とすれば、そもそも「独創的な」キャラクタは造型する価値が薄い、ということになります。もちろん独創的で、かつ、読者に好意的に受け容れられるようなキャラクタなら、申し分ないわけですけど。これは難しいですね。

次に「個性を際立たせた」キャラクタの作り方ですが、これは実に簡単だと僕は思ってます。方法は、

 ☆ 個性の一面をクローズアップする
 ☆ しつこく描写する

が基本になるでしょう。

際立たせる一面を決め、繰り返し描写する──これでそのキャラクタの個性を読者に伝えることができます。例えば、


 一色秋人は読書家と云うより愛書家である。読むより眺めることが好きなのだ。本は必ず美装本を手に入れるし、古書ならできるだけ保存状態がよいものを選ぶ。
 その日も一色は本屋で本を物色していた。
 背表紙をじっくりと鑑賞し、ページを一枚一枚確かめるようにしてめくる。表紙、裏表紙──あらゆる外見を確認する。
 一色は愛書家なのだ。
 内容よりも見た目を重視する。
 わずかな染み、端の折れ──そんな些細な傷も一色には到底受け容れることはできない。
 そんな男だった。

こんな風なワンシーンを挿入すると、「愛書家」(本の内容よりも外見を重視)という「一色」の個性が際立つと思います。また、こうした描写を時折繰り返し挿入すれば、さらに「一色」のイメージは読者に強く印象づけられるでしょう。

これがキャラクタの個性を際立たせる方法だと、僕は思っています。

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■個性的なキャラクタとリアリティとの兼ね合い
 夜道。
 近道をしようと、誰もいない神社の境内へと入る少女。
 そのうしろを、ひたひたと、黒い影が迫る。
 ふと足をはやめる少女。
 ざっざっざっざっ
 黒い影が動く。
 ひたひた
 ひたひたひたひた
 そして──。

なんてワンシーン。なかなかにベタなシーンですが、少女に感情移入していると、「なんで、こんな危険なところに入っていくんだよー」とか、「大丈夫かなあ」なんて、手に汗握ったりします。

でも、それは、「少女」が「か弱い少女(だいたいは美少女)」だった場合です。

もし「少女」が「敵意を感じると、念力放火能力を発現させ、諸悪を焼き尽くすサイキック少女(やはり美少女)」だとしたら、読者は次に展開されるアクションシーンを期待し、違う意味で手に汗握るでしょう。

これがキャラクタによって場面の印象が180度変わってしまう事例です。

    ※

アクションやファンタジーとは異なり、ミステリ、ホラー、青春物、恋愛物、現代物といったジャンルの作品は、リアリティが重要になると思います。

例えば、ミステリで警察がいきなり高校生の「素人探偵」(すごい言葉ですね)に捜査を依頼したりすると、その段階で「ああ、じゃあ、トリックも何でもありになるんだな」と思ってしまい、それ以降は単なる謎解き小説として楽しむことになります。小説としての深み(ちょっと難しい表現ですが)はなくなってしまいますし、もちろんミステリに付きものの怖さもなくなります。僕の母は京極夏彦が苦手ですが、それは登場人物にリアリティがないからのようです(僕はそのキャラそのものを楽しんでいます)。

ですからリアリティを壊すようなキャラクタ(現実には絶対存在しない個性)を登場させる場合、けっこう気を使う必要があります。上で述べたように、キャラクタには場面の印象をがらっと変えてしまう力がありますから、それまでに構築した作品の世界を台無しにしてしまう可能性をも秘めています。

作品のリアリティを大切にする場合、現実感がないような個性的なキャラクタは出しづらいしですし、逆に個性的なキャラを売りにするなら、作品世界のリアリティをある程度代償にしなければなりません。

このあたり話を書き始める前に路線を決めておかないと、あとで失敗するみたいです。

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■視点の話
 叙述の視点について意識するのは重要な点だと思っています。

 視点は列挙すると、

  1. 一人称単視点:「ぼく」「わたし」が語り手。
  2. 一人称多視点:複数の「ぼく」「わたし」が語り手。ただし読者を混乱させる。ミステリの叙述トリックとしてしばしば使われる。
  3. 三人称単視点(疑似一人称視点):一人称代名詞を使わないだけで、実質は一人称単視点と同じ。視点の表記が「木口」だの「義雄」といった固有名詞になる。
  4. 三人称多視点:いわゆる三人称視点。複数の視点で叙述。

 もちろん一人称視点と三人称視点の複合なんてものもあります。それに、二人称視点というのも、まれに存在します(ちなみに地の文の二人称代名詞が指すのは、「あなた」つまり読者になります)。

 僕は一人称単視点か三人称多視点をよく使います。語り手の心裡描写に重点を置くなら一人称単視点を、場面をスピーディーに切り替えたい場合は三人称多視点を好んで使います。また登場人物が多くなる長編だと、どうしても三人称多視点になってしまいます。

 一人称単視点の場合、その場面に必ず語り手がいる必要があります。語り手不在の場所で起きた出来事に関しては、伝聞という形で表記しなければなりません。ですから、同時並行する複数の場面を書く必要がある場合には、一人称単視点は使えません。また個人の認識能力(情報把握能力)には限界がありますから、少し不安定な世界を描くときは一人称視点が優れていると思います。

 三人称多視点の場合、視点を切り替えることができる点に優れています。例えば、火事の中を逃げまどう人々を描くときなど、視点を切り替えていくつもの恐怖場面を描けるので便利です。またミステリなどの場合だと、捜査会議の様子、犯行の様子、被害者の心裡描写など、単視点では描ききれない場面があるので、三人称多視点が好んで使われます。もちろん、探偵の視点に絞って叙述する場合は、探偵かその助手の三人称単視点、あるいは、一人称単視点がよく採用されます。

 ここで注意すべきは「視点の固定」という点です。

 一人称単視点を採用している場合でもしばしば見かけるミスですが、語り手以外の心裡描写がぽろっと入っていることがあります。いきなり例文。

「そうか……」
 真実を告げても、吉岡に動揺はなかったし、実に平静だった。ただ、少しだけ目に力がなくなったように見えた。
 窓の外を見上げる。
 真っ青な空。
 吉岡は仕方がないことだと諦めた。
 ふと僕に微笑みかける。
「幸せか?」
 幸せだ──そう答えたかった。吉岡がその答えを待っているのもわかっていた。でも僕はかろうじて頷くだけで精一杯だった。
 吉岡は少しも気づかず、また窓の外を見上げた。
 僕は大人になれなかった。

 というわけですが、どこで視点の混乱があったか気づきましたか?

 視点は「僕」の一人称単視点ですから、語り手はもちろん「僕」。そうすると、「吉岡は仕方がないことだと諦めた」という一文が、違和感を覚えさせます。「僕」にわかるはずのない「吉岡」の心情が断言形で描写されてしまっているからです。そこで、例えば、

 吉岡は短く息を吐いた。何かを振り切ったように見えた。

などと描写すると、あくまで「僕」からの観察だとわかりますから、視点の混乱を回避できます。

 また「吉岡は少しも気づかず」も微妙な表現で、本当に気づかなかったのか、それとも気づいていたけれども目を反らしてしまったのか、「僕」からはわからない点のはずです。ですから、ここも、

 眼を上げると、吉岡はまた窓の外を見上げていた。

などとしておくと、少し含みがありますが、気づいたのか気づかなかったのかという点を曖昧なままにしておけます。

 こうした「視点の固定」は一人称視点だけに当てはまるものではない、と僕は考えています。三人称多視点でも、厳格に守るべき点だと思います。例えば、

 小早川は左打席でバットを何度も何度も握り直していた。ぶっつぶしてやる──アドレナリンが体中を駆けめぐっているのがわかる。若造に舐められてたまるか。プロの意地を見せてやる。
 マウンドにはルーキーの吉川。まだプロに入って数ヶ月。しかし全身から自信が満ちあふれていた。
 吉川は右手の白球を見つめて精神を統一する。
 プロは実力の世界。年数だけでは生きていけない。筋力の衰えた奴は、老醜をさらす前にさっさと引退するべきだ。力の差を見せつけてやる──。
 渾身のストレート。吉川の頭にはそれしかなかった。
 ホームベースからサインを送る毛利捕手は気づいていた。小早川はストレートを待っている。当たり前だろう。吉川の力みを見れば、誰にだってわかる。
 カーブのサインを送る。
 吉川が首を横に振る。
 チェンジアップのサインを送る。
 またも首を横に振る。
 吉川の表情を見て毛利は諦めた。
 ──小早川さん、吉川にプロの厳しさを教えてやって下さい。
 そう心の中で呟いてから、ストレートのサインを送った。
 吉川の口の端から笑みが零れる。

 白球はライトスタンドへ大きなアーチを描いた。

 この話は「小早川」「吉川」「毛利」の三人称多視点を採用しています。すぐ気づいたと思いますが、「小早川」→「吉川」→「毛利」の順に視点がめまぐるしく入れ替わり、それぞれ心裡描写が挿入されます。

 この例文では、視点が整理されているので、案外、混乱していると感じなかったかもしれませんが、こうした書き方は読者にしばしば混乱を与えます。

 ですから、三人称多視点の場合は、まず「視点の固定」を意識し、その上で確信犯的に「視点の入れ替わり」を利用する、というスタンスをとらないと、きわめて読みにくい作品になると思います。視点に関して無頓着のままでは、すっきりとした三人称多視点小説が書けないのではないでしょうか?

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